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音を拾う

  • 執筆者の写真: みりん
    みりん
  • 2022年6月12日
  • 読了時間: 4分


 春の夜は音で溢れている。静寂が張り詰める冬のそれとは対照的で、例えば人の話し声だとか、虫の羽音だとか、風の音だとか。存在するものはさして変わらない筈なのに、春の柔らかい空気は全ての音を優しく拾う。今もほら、開け放たれた窓からは、風に乗って楽し気な笑い声が滑り込んで来る。


「もー、蜜柑さんったらー」


 隣の部屋にいるドラルクは、ゲーム配信か何かをしているらしく、さっきからずっと楽し気に笑っている。知らない話題。知らない名前。けらけらと背中に降る降る笑い声。原稿に集中したいからと部屋を移動して来たのに、窓から入り込んで来るそれらが気になって気になって、指先は言葉を紡げない。窓を閉めれば良いだけの話なのだが、それは少し、違うと言うか。知らない話題も知らない名前も聞きたくないけれど、声が聞こえないのは、違うと言うか。


「いいね、オフ会! いつにする?」


 けらけら、けらけら、笑い声が背中を叩く。知らない誰かと知らないうちに、知らない場所で会う約束をするお前。それは少し、違うんじゃないか。何がと聞かれれば答えに困るが、それは少し、違うと思う。

 たまらず立ち上がり、真っ白なままの原稿をそのままにドアを開ける。どすどすとわざと足音を立てて近づくと、ヘッドセットを付けたドラルクが振り返って怪訝そうな顔をした。


「なんだ若造。うるさいぞ」

「……」

「原稿は終わったのか?」

「……いや」


 ぽつりと呟くと、ドラルクは興味なさげに「フクマさんに迷惑かけるなよ」と言ってこちらに背を向けた。そしてまた、知らない誰かの輪の中に戻る。楽し気に笑って笑って、さっきまで俺に見せていた顔とは違う顔で、ワントーン高い違う声で、知らない輪の中に戻って行く。


「……」


 それはやはり、違うんじゃないか。何がと聞かれれば答えに困るが、それはやはり、違うと思う。

 考えるより先に身体が動いた。背後からヘッドセットを奪って、ノートパソコンをぱたりと閉じる。抗議する声を遮って、青白い手首を握って立ち上がらせる。


「ちょっと、何、」

「外、行くぞ」

「はあ?」


 握った手首はひやりと冷たい。死なない程度にぐいぐい引っ張り外へ外へ。外気に触れる。春の匂い。春の音。春は人を拒絶しないから、好きだ。ただ、日が長くなるから。夜が短くなるから、それだけは、嫌、かもしれない。今は別。今は別だけれど。


「おい、ちょっと、ロナルド君」

「……」

「ロナルド君ってば」

「……何」

「何じゃないんだよ。どこへ行くつもりだ?」

「……散歩」

「散歩って。私配信中だったんだが」

「……」

「ロナルド君?」

「……」

「なんなんだ、一体」


 そう言ってため息を吐くドラルク。しかし強くは拒絶せず、黙って俺に手を引かれる。

 歩くペースを落とす。雨上がりの湿気を含んだ空気。緑の匂い。肌に馴染む気温。ぎゅっと握ったドラルクの手首は、いつのまにか体温が移って温かくなっていた。


「なあ、どこまで行くんだ」

「……人のいない所」

「……? まだ早い時間だし、どこへ行っても人はいると思うが」

「……」

「まだ事務所の方が」

「そうじゃねえ」

「……?」

「そうじゃねえんだよ」


 立ち止まってドラルクと向き直る。怪訝そうな顔。それはそう。俺だって、自分が何をしたいのか、何を言いたいのか、よくわかっていない。


「……嫌なんだよ」

「何が?」

「お前が、なんか、配信とか、そういうの」

「はあー? 誰にも迷惑かけてないだろ」

「そう、だけど、なんか、嫌なんだよ」

「……なんで?」

「わかんねえ」


 そう言うと、ドラルクは黙って俺をじっと見つめた。受け止めきれずに視線を落とす。わからない。このモヤモヤが、何か。何かが欲しくてたまらない。けれどそれは手に入らない。それが何なのかわからない。ただ一つ分かるのは、それを持っているのは、お前であって、


「……言葉にしてみてよ」


 低い声に思わず顔を上げる。楽しげにはしゃぐ時とは違う、人と人が、本音で話す時のワントーン低い声。

 赤い瞳が俺を射抜く。言葉がつっかえて出てこない。何で嫌なのかって、なんでって、だから、そんな、


「言葉にしろ。作家だろ?」


 そう言うと、ドラルクは付け足すように笑った。いつもの馬鹿にするようなそれとは、少し違う気がした。

 もやもや、ぐるぐる、思考が纏まらない。しかしドラルクは口元に笑みを湛えたまま、俺の言葉を待ち続ける。何で嫌かって、だから、そんな。

 俺は視線を彷徨わせると、空気中に散らばった言葉をひとつひとつ掴んで、読み上げた。


「……だからさ」

「うん」

「……お前が、さっき、楽しそうにしてて。楽しそうにしてるのは、いいんだけど。なんて言うか、俺はその相手を知らないし。それはちょっと、違うと言うか」

「違う? どう違うんだ?」

「そ、れは」

「言葉にして」

「……お前が、俺の知らない人と、楽しそうにしてるのを見ると、胸のここんとこが、ちょっと、もやもや、するっていうか」

「……ほう」


 目を細めるドラルク。それが、どんな感情なのかはわからない。けれど、俺はお前に、


「だから、俺は、お前に、」

「……」

「俺のことだけ、見て、欲しい……?」


 言葉にした想いは、余りにも情けなかった。空間に沈黙がひらひらと落ちる。


「なんとか言えよ」


 たまらずそう言うと、ドラルクは小さく笑って「離して」と言った。ハッとして握ったままだった手首を離す。手のひらはじっとりと汗ばんでいた。

 するとドラルクは俺の手を取って指先を絡めた。えっと思う間もなく、今度はドラルクが俺の手を引いて歩き出す。


「なあ、おい」

「ん、ふふ」


 堪えられないとばかりに、ドラルクが笑いだす。けらけら、けらけら。


「なあ、なに笑ってんだよ」

「いや、だって、ふふ、」

「なんだよ、言葉にしろよ、なあ!」


 聞こえるのは春の音。それから心音。けらけらと笑い声。けらけら、けらけら、けらけら。




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