恋と呼ぶには泥臭い #1
- みりん
- 2022年5月29日
- 読了時間: 7分
――なんだこの感情、なんなんだこの感情……!
二十年以上生きてきて、初めての感情との邂逅。ぐるぐると巡る思考。続くこと一週間。正直、ロナルドは参っていた。
***
事の起こりは一週間前。明け方近くに帰宅したロナルドが見たのは、机の上に散らばった大量の写真と、それをぼんやり眺めるドラルクの姿だった。
「おま……、何してんの」
「ああ、お帰り、ロナルド君」
ロナルドの姿を認めると、ドラルクは何でもないといった風に、写真を片付け始めた。
「それなに?」
「いや、散らかしてすまない。ただの見合い写真だよ」
――は?
「さっきまでお父様が来ていてね、お前もそろそろいい歳なんだからって……何?」
ドラルクが怪訝な顔をする。無意識のうちに、ロナルドはその青白い手首を掴んでいた。細い。冷たい。このまま握り締めたら簡単に折れそう。ロナルド君? というドラルクの訝しげな声で我に返り、ハッとして手を放す。
「……俺にも見せろよ」
誤魔化すように、ドラルクから写真の束を奪い、バラバラとめくる。どの写真も似たり寄ったりで、小綺麗で、控えめそうで、いい所のお嬢さんといった感じの女性ばかりが曖昧に微笑んでいた。
「……お前、こういう子が良いのか」
「私じゃなくってお父様の趣味だよ」
写真を奪い返しながら、ドラルクが面倒くさそうに言った。咄嗟に何か言い返そうとしたが、言葉が出てこない。
「……」
「どうした五歳児。今日はやけに静かだな」
「……お前、それ、どうすんだ?」
「? 何がだね」
「見合いだよ!!」
「ウワッ、急に大声を出すな!」
大声に驚いたドラルクが、スナァと崩れ落ちた。自分でも何故そんな声が出たのか分からず、反射的に謝罪する。
「あ、いや、ごめん……」
「……なんだ、やけに素直だな……疲れているのか?」
ぐっと口を噤むロナルドに、ドラルクがやれやれといった感じでため息をつく。
「今日は早めに寝なさい。ジョンももう寝ちゃったから。私ももう寝る。あ、夜食は鍋の中にハヤシライスがあるから。ご飯は冷凍のを温めてね」
「あ、おい……」
「もう朝日登っちゃうよ。じゃ、おやすみ」
そう言うと、ドラルクはさっさと棺桶の中に引っ込んでしまった。ぽつねんと一人取り残されたロナルドは、しばし棺桶を呆然と眺めていたが、ハッとして気を取り直す。
――何をショックを受けているんだ俺は。……ん? ショック……? 何でドラ公の見合いで俺がショックを受けるんだ……? ……疲れてるんだな、とりあえず飯にしよう、飯。
キッチンに入り、鍋の蓋を開けると、ドラルクの言う通りハヤシライスが作ってあった。ほんのりと、トマトの良い匂いがする。それを火にかけ、冷凍庫からご飯を取り出し、レンジで温める。
焦げないように鍋の中をかき混ぜながら、ロナルドはまた物思いに耽った。
――見合い写真ってことは、見合いをするんだよな。見合いをするってことは、け、結婚するって事だよな。結婚? ドラ公が? いやあんなすぐ死ぬ奴生涯の伴侶としてどうなんだよ。あれだろ、女の人って、男に守ってもらいたいとか、そういうのあるんだろ? 頼りがいのある男がいいとか、そういうのあるんだろ? じゃあダメじゃん。ドラ公絶対ダメじゃん。あいつはむしろ守られる側なんだよ。俺みたいなやつに守ってもらわないと、守ってやらないと、俺みたいなやつがそばにいないと、あいつはダメなんだよ。……っていうかだいたい、何が見合いだよ。ドラ公の親父のやつ、また勝手に入ってきやがって。ほんとろくな事しねえなあいつ。いい歳だから……って何? 吸血鬼の結婚適齢期っていくつなの? 200歳ってつまり人間の何歳? 全然わかんねぇけどあいつにはまだ早いだろ絶対……。
「あっ」
いつの間にか、鍋の中身がごぽごぽと音を立てていた。慌てて火を消し、レンジから温まったご飯を取り出し、鍋の中身と共に皿によそう。さっきよりもくっきりとしたトマトの匂いが、鼻をくすぐった。
席に着き、小さく手を合わせてから、スプーンを口に運ぶ。コンビニ飯とは違う、血の通った飯の味だ。
――相変わらず、ムカつくぐらい美味いな……。
ふと、もう長らくコンビニ弁当を買っていないことに気づく。ドラルクが来る以前は、三食コンビニ飯という事も珍しくなく、ただ栄養を取るためだけに食事をしていた。それなのに今は、食事をしたくて食事をしている。生活リズムの違う自分が、いつお腹を空かせてもいいようにと、冷蔵庫には常に作り置きのおかずが入っている。ふと、「いいなあ、なんて贅沢なんだ」と、ギルドメンバーのサテツが、そんなことを言っていたのを思い出す。
――まあ確かに、飯についてだけ言えば、そうなのかもしれない。でも全然良くないぞ。確かに飯は美味いけど、あいつは厄介ごとばかり持ち込むし。ムカつくし。すぐ死ぬし。プラスマイナスで言ったらマイナス一億ぐらいだし、だから別に、羨ましがることなんて、何もないはずだ。
「でもさあ、家に帰って人がいるって、それ結構贅沢な事だと思うけどな」
ふといつぞやのショットの言葉を思い出す。
――いや、まあ、そりゃ確かに、初めのころは、誰もいない事務所の電気をつける瞬間とか、ちょっと心に来るものがないでもなかった。でも昔の話だ。そんな生活もずっと続けば慣れる。そう、慣れてきてたんだよ、俺は。それなのに、今じゃドラ公が煌々と電気をつけて待っている。電気代が馬鹿にならねえ。ほんとろくでもないな、あいつ。……でもまあ、ジョンがヌヌヌヌーって声をかけてくれるのは、うれしいな、うん。たぶんおかえりーって言ってくれてるんだろうな。ただいまとかおかえりとか、なんかそういうのって家族みたいで……家族……? 結婚……?
ド ラ ル ク の 見 合 い !
――そうだ、すっかり忘れていた。ドラ公の見合いだ。あいつ、どうするんだ? あの写真の中の誰かと見合いをして、結婚して、結婚したら……ここを出ていく……? いや、そりゃそうだろ。何を狼狽えてるんだ俺。そりゃ結婚したらここを出て行って、結婚相手と一緒に住んで、その人のために飯を作って……あれ、じゃあ俺、ドラ公の飯が食えなくなるのか……? いやいやいや、別に良いだろ、食えなくたって。だいたい、今の状態の方が異常なんだ。俺はもともと三食コンビニ飯でも大丈夫な人間だし、家に誰もいなくても平気だし、別に寂しくなんか……寂しくなんか……。でも、ドラ公の飯、ほんとに美味いな……これがもう食えなくなるのか……いや別に寂しいとかそういうんじゃないし、別に涙とか出てきてないし、ああくそ、そういや鍋にまだあったな、今のうちに、今のうちにもっと食っとこ……。
***
「お行儀が悪いにも程があるだろ!」
聞き慣れた声で目を覚ますと、いつの間にかあたりは真っ暗だった。食事のあと、そのまま机に突っ伏して寝てしまったらしい。身体の節々が強張っており、頭はぼんやりしている。
「うそ、俺ここで寝てたの……?」
「信じられないのは私も同じだよ若造。洗い物は水につけておけといつも言っているだろう。脳みその記憶容量1バイトなのか? ……ってアーーーッ!!」
「なんだよ……急にでかい声出すなよ……」
「ロナルド君、あれ全部食べたの!?」
「あれ……?」
「君の言うところの弱いカレーだよ! 三日分はあったのに!」
「ん……食った……」
「うっそでしょ……」
ぶつくさと文句を言いながら、ドラルクが洗い物を始める。その様子をぼんやり見ながら、ロナルドは昨日の夜のことを思い返す。
――何で俺、ここで寝ちゃったんだっけ。うわ、腹が重い。なんでこんなめちゃくちゃ食ったんだっけ。……そうだ、ドラルクの馬鹿が、見合いなんてするって言うから……。
「……なあ」
「何?」
「お前、見合いどうすんの」
「さあ、どうしようかねえ」
皿洗い中のドラルクは、手元に視線を落としたまま、気のない返事をした。
「……」
「なんだ、まだ寝ぼけているのか?」
「……お前、俺のために毎日弱いカレー作れよ」
「…………プロポーズか?」
時間が止まった。言葉の意味が飲み込めず、ぽかんとしていたロナルドだったが、脳の覚醒と同時にゆっくりと意味を咀嚼した。途端、ぐわあと体中の血が沸騰するような感覚に襲われた。
「バッッッッッッッッカじゃねーの!!!!!!!!!!!!!!」
馬鹿でかい声で怒鳴り、ロナルドはドタドタとリビングから出て行った。ドラルクは驚いて塵になった。
「ヌー!」
心配してジョンが駆け寄る。さっさと復活したドラルクは、ジョンを抱きかかえ安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だよ、ジョン。しっかしあの猿、昨日から変だな。いつも変だけど。いつにもまして変だな」
「ヌー」
「ジョンもそう思うかい? 発情期かな? 猿だし……」
「ヌヌヌヌヌヌ、ヌヌヌヌヌヌンヌヌヌ?」
「見合い? しないよぉー。だってお父様の選んだ女性でしょ?」
「ヌンヌヌヌヌ?」
「みんなお上品そうだし、きっとみんな素敵なんだろうけど……どうせなら私は、面白いほうがいいかな。さて、洗い物の続きをしようかね」
「ヌー!」
***
一方その頃、ロナルドはシャワーを浴びていた。昨日風呂にも入らず寝てしまったことを、今更思い出したのだ。頭から水を浴びながら、ロナルドは自問自答する。
――プロポーズって何だよ! ふざけんなよ気持ち悪い、なんかそれだと俺があいつのこと好きみたいじゃん、あいつのこと引き留めようとしてるみたいじゃん。出て行って欲しくないからって。結婚してほしくないからって。……結婚……ドラ公が……結婚……。
「結婚するのか……俺以外の奴と……」
――いや何を言ってるんだ俺は。古のソシャゲCMかよ。……いやしかし、あってはならない。ドラ公が俺を置いて結婚するだなんて、そんなことは絶対にあってはならない。何故って? 何故って、そりゃ……。
そうしてロナルドは、またぐるぐると思考の渦に飲み込まれていった。
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