恋と呼ぶには泥臭い #10
- みりん
- 2022年5月29日
- 読了時間: 5分
桜木町駅で下車し、改札口を出てすぐ左にある商業施設に入る。エレベーターで六階まで上ったところに、映画館はあった。
「で、何見るの?」
「チケット取ってあるんだ……これ」
「……ミュージカル? 好きだっけ?」
「いや、なんか流行ってるみたいだし」
「みたいだし、デートっぽいから?」
「うるせーな! その通りだよ!」
「ふふ、君、ほんと、可愛いな……!」
「なんだよさっきから、可愛い可愛いって……!」
「だってそう思うんだから仕方ないじゃない」
面白い男だ、とは常々思っていた。ただこの数日で、ドラルクは今まで抱いたことのない感情をロナルドに抱くようになっていた。成人男性に向かって可愛いだなんて自分でもどうかと思ったが、そう感じてしまったのだから仕方がない。
――本当に、ロナルド君は私の知らないことをたくさん教えてくれる!
***
大ヒット上映中のその映画は、ほとんど満席だった。
ブロードウェイミュージカルが原作の所謂悲恋モノで、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を下書きにした作品だ。生まれの違う主人公とヒロインが出会って、恋をして、すれ違って、片方が命を落としてしまう話。もう何度も映画化されているし、舞台版の方も何度か観たことがあった為、ドラルクはさして心を動かされなかった。そうか、この監督だとこんな演出にするんだなるほどな、などと思いながらぼんやりとスクリーンを眺める。
終盤、主人公が命を落とすシーンでは、周囲からすすり泣きの声が聞こえた。そうか、人間はここで泣くんだな、などと思いながらふと隣を見る。ロナルドは、どういう気持ちで観ているのだろう。
「……!」
思わず、目を奪われた。ロナルドは、泣いていた。声も出さず、スクリーンをじっと見つめて、透明な涙を流していた。
――ああ、君はなんて、
綺麗に泣くんだ、とドラルクは思った。映画よりも、隣で静かに泣くその男に、ドラルクは目を奪われていた。
***
「もう二度と観ない……」
「君が誘ったんだろ」
上映後、ロビーを歩きながら、ロナルドが鼻をすすりつつ言った。
「……めちゃくちゃ泣いてたけど、何がそんなに悲しかったんだ?」
「……いや、だって死ぬじゃん」
「そりゃ死んでたけど」
「……お前が」
「何?」
顔を覗き見ると、ロナルドは一瞬気まずそうに目を逸らした。かと思うと、蚊の鳴くような声で言った。
「……お前が死ぬとこ、想像しちまった」
「ハーーーーー!? いつも人をボコスカ殺しまくってる奴が何を言ってる!?!?」
思わず大声でそう言うと、ロナルドは反射的に大声を上げた。が、その声はしおしおと小さくなる。
「うるせーな! それはそう、なんだけど、そうじゃなくて……」
「……?」
黙ってロナルドの次の言葉を待つ。視線をさ迷わせていたロナルドは、ぽつりぽつりと思いを溢すように話し始めた。
「……ああやって、死んじまって、声も届かなくなって、もう二度と会えなくなるって思ったら……なんか、すげえ、怖くなって……」
「……? わからないな。死ぬのがそんなに怖い?」
「……お前と! お前と会えなくなるのが、怖いんだよ」
そう言うと、ロナルドはやっとドラルクと目を合わせた。涙で赤くなった目が、ドラルクを真っすぐ捉え、その手は大切なものに触れるように、頬をそっと撫でた。
「……!」
――その目、その目だ! 君は、なんでそんな目で、私を……。
反射的に何か言い返そう、と思ったが叶わなかった。揶揄う言葉は出てこなかった。
暫くの沈黙の後、ドラルクはつい、ぽつりと本音を溢した。
「……なんかそれだと君、私のことめちゃくちゃ好き、みたいじゃない……」
「め、めちゃくちゃ好きだよ! 悪いかよ!」
「……本気で言ってる?」
「な、俺はずっと本気で!」
ハッとしてそう言うロナルド。しかしドラルクの顔を一目見て、言葉を飲み込んだ。ドラルクは、自分が今どんな表情をしているのか、自分でもわからなかった。
「……帰る」
「えっ」
「もう、帰ろう。疲れちゃった」
「お、おう……わかった……」
***
映画館を出て、駅に向かい、地下鉄に乗る。比較的空いている車内で、ロナルドとドラルクは並んで座った。どちらも一言も喋らなかった。ドラルクは一人、思考の海に沈む。
――死ぬのが怖い? 会えなくなるのが怖い? わからない。わからない。
ロナルドは言った。「お前と会えなくなるのが怖い」と。ドラルクも、目を閉じて想像する。
――ロナルド君が死んだら、ロナルド君がいなくなったら。ある日事務所に帰ると、君がいなくなっている。私はジョンの分だけのご飯を作る。美味い美味いと褒めてくれる声は、ひとつだけ。そうだ、君は騒がしいから、きっと君のいなくなった事務所からは、ごっそりと音が抜け落ちる。きっと、君のいない世界は酷く静かで、それは、なんだか、
寂しい、とドラルクは思った。
――寂しい? この私が? 何十年も城で一人と一匹で生きてきた、この私が?
認めたくなかった。けれど、ロナルドのいなくなった世界を思うと、これまで感じたことのない恐怖が、ぞわぞわと背筋を上った。これまで一度も、抱いたことのない感情だった。
――ロナルド君に告白された時は、また面白い展開になったなと思った。君はまだ若いから、たまたま身近にいた私に、「恋をしている」と勘違いしてしまった。だからその誤解が解けるまでは、君で死ぬほど遊び倒してやろう、と思っていた。それなのに、
電車の中、横並びに座った席で、ロナルドの肩と肩が触れ合う。ロナルドと触れ合った部分だけが熱を持つ。そこに全神経が集中し、全身が肩になるような心地だった。
――なんだこれは、なんなんだこれは!
二百年以上生きてきて、初めての感情との邂逅。ぐるぐると巡る思考。もう、認めざるを得なかった。
「あっ……」
気づけば、ドラルクの両目からは一筋の涙が流れていた。
「えっ、うわ、ドラ公!? どうした!?」
「あ、あ……」
「な、何!? 何で!? なんか嫌だった? ごめん、ごめん俺、」
「ロナルド君」
ぐっと顔を上げると、青い瞳が心配そうにドラルクを見つめていた。よく笑って、よく怒って、細められて、吊り上げられて、時に綺麗な涙を流す、青い瞳。それが、ドラルクの為に、心配そうに歪められていた。
――あ、あ、あ、駄目だ……。
心の奥から、熱をもった何かが、とくとくと湧き出てくるのを感じた。堰を切ったように、次から次へと、それは全身を駆け巡り、一つの事実をドラルクに告げた。
今夜、今夜、全てが始まった。
「わたし、きみのこと、すきかも……」
冗談には、できなかった。
***
認めてしまった。認めてしまった。ぽろぽろと溢れる涙を止められない。ロナルドはそんなドラルクを見て、言葉を探し慌てふためいている様子だった。
「どら、」
「――新横浜、新横浜」
絞り出された声は、車内アナウンスにかき消された。ロナルドは出かかった言葉を飲み込むと、立ち上がってドラルクに手を差し出した。
「……帰るぞ」
ドラルクは黙って、その手を取った。今度はしっかりと、その手を握り返した。
(続)
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