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恋と呼ぶには泥臭い #8

  • 執筆者の写真: みりん
    みりん
  • 2022年5月29日
  • 読了時間: 11分

 何か凄く甘い夢を見ていた気がする。ロナルドが目を覚ますと、時刻は午後12時を廻っていた。ぐっしょりと濡れたシャツが気持ち悪い。反面、頭の中は憑き物が落ちたようにすっきりしていた。だらりと横たわったまま、すぐ隣にある棺桶に視線をやる。当たり前だが、ドラルクはまだ起きてこない。

 のそのそと起き上がり、シャワーを軽く浴び、着替える。夜と違ってしんと静まり返った昼間のリビングは、若干の物寂しははあれど、思考を巡らせるには適していた。


 ――夢、じゃないよなぁ……。飯を食い終わったあたりから記憶が曖昧だ。思い出せ、思い出せ。……あの後、洗い物をして、そうだ、飯を作って貰っておきながら、洗い物一つしないだなんて人として終わってるってターちゃんに言われたんだ。そのくらいから段々頭がふわふわしてきて、ちょっと横になろうかなとか思ってたら、ドラ公が風呂から上がってきて、そうだ! 風呂上がりのドラ公! 風呂上がりのドラ公がエロ過ぎてびっくりしたんだよ! 崩れた前髪、赤く色づいた頬、パジャマから見える鎖骨、ほっそい足! だめだろ……あんなのだめだろ絶対……。それから、洗い物ありがとうってアイツが言うから、先人の教えに従って「こちらこそ」って言ったら熱があるんじゃないかって疑われて、まあ実際あったんだけどなんて失礼なクソ砂なんだって思って、でもそれはそもそも普段から言ってこなかった俺の失態であり、そうだ俺の失態だ……。それから額に手をあてられて、そん時すげーいい匂いがして、なんかいつの間にか抱き締めてて……いいよな? 俺たち付き合ってるんだからそれは別にいいんだよな? もしかしてハグにも許可っている……? 俺もうわかんねえよ……。わかんねえと言えば、もう一つ。恋人らしいって、何だ? 昨日あいつが「あーん」をしてきて、俺が反射的に殺した時、「恋人らしさのかけらもない」とあいつは言った。まあそりゃ一般的な恋人は殺したり殺されたりはしないんだろうけど、恋人らしさって……? そうだ、ドラ公はもしかしたら、俺を煽ってるんじゃなくて、あいつの思う恋人らしい事を実行しているだけの可能性もある。だとしたら昨日の俺はマイナス5億点どころかマイナス100億点だ。愛しい恋人を殴って死なせるなどと……。ああ、俺は三日洗い忘れていた弁当箱……。


 ロナルドは決意した。今日こそはドラルクを殺さないと。そして目一杯優しくして、あいつの望むような恋人らしいことをして、自分に惚れ込ませてやると。


***


 18時きっかりにドラルクは目覚めた。ちょうどロナルドが赤い衣裳を纏って出かけようとした時の事だった。


「おはよう、ロナルド君。あれ、もういいの?」

「……おう」

「そっかー。じゃあお粥あーんしなくていいね」

「は?!」


 衝撃の発言に思わず動きが止まる。


 ――お粥あーんって何? 弱いカレーをあーんされそうになって殺したのは覚えてるけど、お粥あーんって何?!


 ドラルクはニヤリと笑うと、声を弾ませて言った。


「あれー? 覚えてないのかな? 昨日私が、お粥作ってあげるって言ったら『あーんしてくれる?』なんて可愛らしく聞いてきたのはどこの誰だっけ?」

「そ、れは」


 反射的に振り上げそうになった拳を気合で抑えながら、ロナルドは言葉を探した。言われてみれば確かにそんな事を言ったような気がする。みるみる顔が熱くなるのが自分でも分かった。


「俺、です……」


 潔く認めると、ドラルクは愉悦を隠しきれないといった表情で、腕を広げた。


「いい子だ。ご褒美に抱き締めてやろう」


 反射的に殺した。


「エーン! DV男!」

「やかましいわ! そこで死んでろ!」


 塵になって抗議するドラルクを残し、ロナルドは赤い顔を隠しながら事務所を出た。


***


 それから一週間。ロナルドとドラルクの高度とは言えない頭脳戦は、熾烈を極めていた。現状は、ドラルクの圧勝。不殺生の誓いを立てたはずのロナルドは、苛烈な煽りに耐えきれず、頻繁にドラルクを殺していた。

 思いを告げる前と変わらない関係性。ただ、一つ変化した事がある。ドラルクを殺す理由だ。以前はムカつくから殺す、という理由が多かったが、今ではそれより、恥ずかしいからという理由の方が強かった。ロナルドの暴力は、アグレッシブな照れ隠しだった。それは人としてどうなんだと自分でも思わないでもなかったが、急に舞い込んだ退治依頼の隙間に繰り出される、ドラルクからの激しいアピールに、ロナルドは感情の整理が追いついていなかった。

 ある日は、退治に出かけようとしたところ、「行ってきますのキスは?」と迫られ殴り殺し、またある日は、「一緒にお風呂入る?」と聞かれ絞め殺し、買い物帰りに「手を繋いでもいい?」と小声で言われ握り殺し、仕事終わりに「いっぱい頑張ってえらいね」と撫でられ叩き殺し、事務仕事中に「構って?」と後ろから抱きつかれ、投げ飛ばして殺した。その度にドラルクは腹を抱えてげらげらと笑った。不本意だ。ロナルドにとってこの現状は本当に不本意だった。


 ある日の事、退治依頼を終えたロナルドは、まっすぐ帰宅する気になれず、ギルドに向かった。明日は久々の休みだ。ここ一週間は、立て続けに舞い込んできた依頼をこなすので精一杯だった。明日は、明日こそは腰を据えてドラルクと向き合ってやる。そうロナルドは決意した。その前に、まずは心を落ち着けなくては。

 久々に訪れたギルドは、大勢の人で賑わっていた。ロナルドが扉を開けると、何時ぞやのように指笛と、囃し立てるような声が聞こえた。


「ロナルドー! ドラルクとキスのひとつでもしたかー?」

「してねーわ馬鹿!!」


 ロナルドが顔を真っ赤にして怒鳴ると、どっと笑い声が起こった。ギャラリー達が口々に言う。


「だから言っただろ、童貞には荷が重いって」

「いやでも告白して一週間以上だろ?! キスどころか俺なら抱き潰してるぞ!」

「そりゃマリアだからだよ……俺の予想じゃ一ヶ月はかかるね」

「一ヶ月ゥ?! 童貞パワー果てしねぇな!」

「そんなに待たされたら気が狂うあるね」

「いやでも流石に何もしてないって訳じゃないだろ……なあロナルド!」


 ロナルドがカウンターのスツールに腰掛けると、隣にやってきたマリアが言った。


「あ?」

「流石に手は繋いだよな?」

「だ、誰と誰が!」

「お前とドラルクだよ! どこまで進んだ?」

「ど、どこ……まで……?」


 マリアの問に、思わず虚空を見上げる。


 ――あいつと付き合うことになって、約一週間。その間俺は、何をしていた……? ギルドのみんなにあれだけ色々アドバイスして貰って、何か一つでも活かせたか……? この一週間、俺がしていた事と言えば……。


「なあ、この一週間何してたんだよ?!」

「殺したり殺したり殺したりしてたわ……」

「シンプルに最低ね」

「人としてどうかと思うぞ」


 ターチャンとサテツが続けて言う。ロナルドは返す言葉もなかった。


――俺は常温で放置された牛乳。俺はかかとのすり減ったスニーカー。俺は生焼けのホットケーキ……。


「お前……ドラルクの事が好きなんじゃなかったのか……?」


 マリアがドン引きを隠しきれない顔で言う。


 ――いや、好きだよ。好きなんだよ。好きだからこそなんだよ!


 そんな思いは言葉にならなかった。うなだれるロナルドに畳み掛けるように、今度はターチャンが虫でも見るような目で言う。


「私なら秒で捨てるね」

「エーン! ごめんなさーい!」


 それから小一時間。ギルドメンバーからこってり絞られたロナルドは、しおしおと事務所に向かった。その道すがら、もう何回目がわからない決意をした。今度こそ、本当に今度こそは、ドラルクを殺さない。


***


 ――ああ、やっぱりロナルド君は面白い。


 今週何十回目かの死を迎えながら、ドラルクは笑った。熱を出したロナルドに甘えられた時は面食らったが、それ以降の彼は、これまで通りドラルクにとって最高のエンターテイメントだ。ちょっと揶揄えば顔を真っ赤にしてすぐ暴力に走る。その単純さが面白くて仕方がない。

 ここ一週間、退治依頼が大量に舞い込んでいたようで、ロナルドは非常に忙しそうにしていた。その合間を縫って、何度もいたずらを仕掛ける。その度ロナルドは顔を真っ赤にして、時には何故か涙を流しながらドラルクを殺してくる。いやあ、人間って、本当に意味不明で面白い。ドラルクは毎日愉快で仕方がなかった。

 その日の夜、23時を少し過ぎた頃に、玄関の戸が開く音がした。さて、今日はどうやって遊ぼう。コンロの火を消すと、ドラルクはエプロン姿のまま出迎えに行った。


「ロナルド君、」


 おかえり、と声をかけようとして、言葉を失った。ロナルドの腕には、真っ赤な薔薇の花束が抱えられていた。


「どうしたの、それ」

「やる」

「え」

「……い、いつもありがとう、な!」


 そういって、ロナルドは花束を差し出した。数日前にも聞いたセリフ。前回は目を逸らしながら。しかし今回は、顔を真っ赤にしながらも、その瞳は真っすぐドラルクを捉えていた。

 ドラルクはおっかなびっくり花束を受け取りながら、なんとなくその本数を数えた。そして死んだ。


「ファー!」

「なんでだよ! なんで死ぬんだよ!」

「うるさい馬鹿……風呂沸いてるから入ってこい……」

「お、おう……ありがとうな……!」

「ヒエッ」


 そう素直に返事をして、ロナルドは浴室に消えた。その背を見送りながら、再生しかけていたドラルクは、再度塵になった。いまいち再生しきれないまま、ぽつりと呟く。


「18本……誠意のある告白……」



 それから、ドラルクは気合で再生すると、キッチンに向かった。ロナルドが入浴している間に、夜食を準備しなければ。


 ――いきなりペースを乱されてしまったが、まだ私の方が優勢のはずだ。さあ、どうやって揶揄ってやろう。そうだ、せっかくだし、この間のアレをリベンジするか……。


 ロナルドが風呂から上がるタイミングで、ドラルクは夜食をテーブルに並べた。今日のメニューは、トマトリゾット、鶏もものオーブン焼き。サラダと果物。


「わ、すげ、うまそ」


 浴室から出てきたロナルドが、髪をわしわし拭きながら言った。美味そうと言われて、悪い気はしない。ドラルクは椅子を持ってきて、ロナルドの隣に座ると、スプーンでリゾットを掬って差し出した。


「ほら、あーん」


 ――ほら、殺してみろ、殺してみろ……!


 笑いをかみ殺しながらじっとロナルドを見る。みるみる顔を赤くしたロナルドは、わたわたと言葉を探していたが、やがて黙って口を開いた。


「えっ」

「あ」

「す、素直だね……」

「あー」


 素直にあーんを受け入れたロナルドに、ドラルクはまた面食らう。


 ――そうだ、前回はここで私がはずか死してしまったんだ。こ、今回は勝ってみせるぞ……!


 覚悟を決めると、ドラルクはロナルドの口にスプーンを運んだ。沈黙が染みる。ドラルクは何故か、自分の心臓の音がすぐ近くから聞こえるような気がした。


「……」

「……」


 形の良い唇から、スプーンを引き抜く。赤い顔をしたロナルドが、もの言いたげな瞳でドラルクを見た。顔が熱くなるのを感じる。二人して顔を赤くしながら黙り込んでいるこの現状は、はたから見てどう映るのだろうか。


「……う、美味いよ。ありがとう、な」


 先に口火を切ったのはロナルドだった。ドラルクも応戦しようとして口を開いたが、喉に何かがつっかえているようで、うまく言葉にならなかった。


「あ、ああ……」


 そう小さく返事をすると、ドラルクはさらさらと崩れ落ちた。


「だからなんで死ぬんだよ!!」

「も……無理……一人で食ってろ……」


 声を上げるロナルドを無視し、ドラルクはのろのろとソファに移動すると、イヤホンをしてゲーム機の電源を入れた。


 ――い、一旦落ち着こう。一旦……。


 気持ちを落ち着ける為に、ドラルクはゲームに集中した。



 それから暫くの後。ゲームに熱中していると、突然隣にロナルドが座った。ドラルクは何か言いたそうな空気を感じつつも、手元が忙しいので画面に視線を落としたまま応じた。


「……何?」

「……明日なんだけど、俺、休みなんだ」

「ふーん。最近忙しそうだったし、良かったね」

「うん……」

「……」

「……ドラ公」

「なに?」

「デートしよう」


 思わず顔を上げると、ロナルドは真っ赤な顔でドラルクを見つめていた。ドラルクはイヤホンを外すと、ロナルドに向き直った。


「……何? なんて?」

「デートしよう。明日」

「な、なんで……?」

「休みなんだ、明日」

「それはさっき聞いたけど」

「……俺たち付き合ってるんだろ!?」


 そう迫ってくるロナルドの表情は、真剣そのものだった。熱を帯びた青い瞳に真っ直ぐ貫かれ、ドラルクは息が出来なくなった。


 ――知らない。私こんなの知らない。


 なんとか揚げ足を取ってやろうと頭を回したが、上手く言葉が紡げない。200年以上生きてきた。けれど、こんな目、こんな瞳で、今まで一度も。


「……なあ、どうなんだよ」


 泣きそうな声で言う大きな5歳児。心臓をきゅうと絞められた気がした。揶揄う言葉は出てこなかった。出てくるはずがなかった。


「……わかった」

「え?」

「する、デート。明日だな?」

「! おう!」

「何時にどこ? 一緒に行く?」

「あ、俺、昼間はやることがあるから、そうだな。19時に駅前でいいか?」

「わかった。じゃあ君はもう寝る? ここどくから……」

「あ、そうだな、遅刻しても駄目だし。悪いな……」


 立ち上がろうとして、ドラルクはふと思った。完全にロナルドのペースに飲み込まれていたが、このまま終わるのはなんだか癪だ。最後くらい反撃したい。

 ドラルクはロナルドの頬に手を添えると、誘うように言った。


「おやすみのキスは?」

「う、お、あ……!」


 また瞬間湯沸かし器のように沸騰するロナルド。ああ面白い、やっぱり君はこうでなきゃ。

 これから来るであろう衝撃に備えて目を閉じる。そう言えば、今日は殆ど暴力を振るわれていない。しかし、いつまで経ってもロナルドの拳は飛んでこなかった。


「……ロナルド君?」


 恐る恐る薄目を開けた時だった。頬に乾いた唇の、温かい感触がした。ゆっくりと顔が離される。ロナルドの濡れそぼった青い瞳が、ドラルクを捕えた。


 ――やめろ、その目を、やめろ……!


 空間を沈黙が支配する。顔が熱くなる。心臓が存在を主張する。熱に浮かされ、ドラルクは窒息しそうだった。


「……どら、」

「も……死んじゃう……」


 本日何度目かの死を迎えたドラルクを見て、ロナルドは声を上げた。


「だから! なんで! 死ぬんだよ!」

「エーン、キャパオーバーです……」


 これ以上は耐えられないと、ドラルクは棺桶に引きこもった。


(続)


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ロナドラが両想いになる話です。 ここまで読んでくださって本当にありがとうございました! 後日譚を加えた加筆修正版を5月のイベントで頒布予定です。そちらもぜひ。 改めて、ここまでお

 
 
 

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