恋と呼ぶには泥臭い #2
- みりん
- 2022年5月29日
- 読了時間: 7分
それから一週間。原稿の締め切り前なことも相まって、ロナルドの情緒は不安定を極めていた。見合い話の続報は、ない。本人に聞けば何かしら教えてくれるのかもしれないが、あまりしつこく聞いて不審に思われるのも癪だ。自分がドラルクの見合い話に気を揉んでいるという事実も気に食わない。
毎日胸の奥に何かがつっかえているような感覚。睡眠も満足に取れない。これは、何だ? 何なんだ? ロナルドは、真っ白な原稿そっちのけで、頭を抱えていた。
――原稿どころじゃない。何も考えられない。……いや、そもそも俺は何を悩んでいるんだ? ドラ公が見合いをしようが結婚しようが、俺には何の関係もないじゃないか。悩む必要なんか全くない。むしろさっさと出ていってほしいぐらいで……。そうだ、俺は最初からあいつを追い出したかったはずで……。
ふと視線を上げると、ドラルクとジョンが、パソコンの前で何やらはしゃいでいる。きっと動画配信でもしているのだろう。見慣れたはずの一人と一匹の笑顔が、今日はやけに眩しく見える。
――くそ、人の家で楽しそうにはしゃぎやがって。楽しそうに……。楽しそうだな……。でもこれは今だけの光景であって、いつかあいつは結婚して、ジョンと一緒にここを出ていって……くそ、違う、寂しくなんかない。寂しくなんか……。
いつの間にか、ロナルドは立ち上がっていた。駄目だ。今はこんな事を考えている場合じゃない。原稿を進めなければ。しかし、ここにいると、何故だが視界が滲んで何も書けない。仕方なしに、ロナルドは一旦場所を変えることにした。
「お、脱稿ゴリラか?」
物音に気づいたドラルクが、振り向いて言った。ロナルドは反射的に飛び蹴りを食らわせ、目を真っ赤にさせて怒鳴った。
「うるせー! てめぇのせいで真っ白だよ! ちょっと出てくる!」
パソコンを抱え、ドカドカと足音をさせてロナルドは出て行った。砂と化したドラルクは、その背中を見送りながら、ぽつりと呟く。
「うーん、理不尽オブザイヤーノミネート」
「ヌー……」
***
「マスター、ちょっと場所借りるよ」
ギルド内の人は疎らだった。とりあえずコーヒーを注文し、カウンターの隅で、ロナルドはパソコンを開いた。
「ロナ戦の原稿か?」
クリームソーダを片手に、ショットが寄ってきた。パソコンを覗き込み、真っ白な画面を見て苦笑する。
「真っ白じゃん」
「うるせえ、見んな」
「見られるのが嫌なら家でやればいいだろ」
「あの馬鹿がいて邪魔なんだよ」
「? 珍しいな。お前が譲ったのか」
意外そうな顔でショットが言う。珍しいって、何が。ロナルドが意味を測りかねていると、ショットが言った。
「いや、だっていつもならドラルクの方を追い出すじゃん。お前の方が出てくるなんて、珍しいな」
――は?
ショットの指摘に、思わず真顔になる。言われてみれば、確かに。ドラルクが原稿の邪魔をするのは日常茶飯事で、その度に殺すなり事務所から叩き出すなりしていた。今日は直接的にこそ邪魔してこなかったものの、あいつのせいで書けなかったのは事実なので、追い出してもよかったはずだ。それなのに、しなかった。
――ショットの言う通りだ。あいつを叩き出せば良いだけの話だったのに、なんで俺が出てきたんだ? ……え、俺、もしかして、ドラ公に出ていって欲しくないって思っている……のか……? 一度追い出したら、結婚なりなんなりして、もう戻って来ないような気がするから……? いや、いやいやいやそんなまさか。……そうだ、ジョンだ! 今日はジョンも楽しそうにはしゃいでいたから、それに水を指すのは申し訳ないと思って……。
「……ルド、ロナルド!」
「えっ」
「急に黙り込むなよ。体調でも悪いのか?」
声をかけられて、ハッとする。いつの間にかまた、物思いに耽っていたようだ。駄目だ、こんな調子じゃ。
ロナルドは諦めたようにため息をつくと、パソコンを閉じ、怪訝そうな顔をしているショットに向き直った。
「ショット、相談がある」
「お? おう……」
これは俺の友達の話なんだが……と前置きして、ロナルドはショットに事の顛末を説明した。
***
「……状況はだいたいわかったけど、それで、肝心の相談は何なんだよ」
「何なんだと思う?」
「は?」
「いやだから、そいつのことは嫌いなはずなんだけど、でもいざ出ていくかもってなったら急に不安になって、そいつが結婚するかもってなったら結婚相手の顔を勝手に想像してもやもやして、出ていくなりなんなり好きにすりゃいいじゃんって思う割にそう言えなくて、そいつの飯が美味くて、いやいつも美味いんだけどいつもより美味く感じて、視界に入るだけでうるっときて、なあ、これって」
「恋でしょ」
呆気にとられているショットの代わりに、いつの間にか来ていたシーニャが口を挟んだ。
「こっ、」
「恋でしょ。童貞もそこまで拗らせると気持ち悪いわね」
「い、いや、いやいやいやいや! 違う違う違う! 違うんだよ。聞いてくれ、違うんだ。俺が、じゃなくて俺の友達が好きなのは年上の、もっとこう、いい感じのお姉さんで、そいつとは似ても似つかなくて」
顔を真っ赤にして否定するロナルドに、シーニャはため息交じりに言う。
「元々の好みなんて関係ないわよ。恋ってそういうもんでしょ」
「ど、どういう……?」
「全然好みじゃなくっても、ある日突然輝いて見えるようになるのよ。一挙一動が愛しく思えたりするのよ。それが恋でしょ。恋ってそういうもんでしょ」
「…………そうなの?」
縋るような目つきで、ロナルドがショットを見る。急に話を振られたショットは困惑しつつも、なんとか言葉を絞りだす。
「うーん……でもまあ、うん、そうだなぁ。……シーニャの言うとおりかもな」
ショットの脳裏には、具体的な誰かの姿が浮かんでいるようだった。なんだか自分だけが置いて行かれたようで、ロナルドはちょっと惨めな気持ちになる。しかしまだ、認める訳にはいかなかった。
「でも、でもさぁ!」
「じゃあさ、逆に聞きたいんだけど、恋じゃなかったら何だっていうのよ」
シーニャの問に、思わず閉口する。それがわからないから悩んでるんだろ。ロナルドは言葉を絞り出すように、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……例えばなんだけど」
「何よ」
「……気に入ってる何かがあるとするじゃん」
「何かって何よ」
「なんでもいいんだよ、本でも置物でも。昔は気に入っていて何度も読んだけど、だんだん飽きてその辺にほったらかしにするじゃん。それは部屋の中にあるのが当たり前で、いちいち気に留めたりしないんだよ。で、ある日誰かがそれを欲しいって言い出したとする。そしたらさ、今まで放っておいたくせに、急に惜しくなったりするじゃん」
「なんかどっかで聞いた話ね」
「俺が、じゃなくて俺の友達が、そいつに思ってるのって、そういう感じだと思うんだけどさ、それは恋じゃないじゃん。だからそれは、」
「愛ね」
「愛!??!??!?!?」
ロナルドは衝撃のあまり椅子から転げ落ちた。ショットがうわあと漏らす。
――愛? 愛って何? 恋の上位互換みたいなやつ? いやまず恋って認めるのもそれはなんかちょっと、
「あるのが当たり前だったからわざわざ考えなかっただけで、失いそうになった瞬間、思い知ったって事でしょ」
「何を?」
椅子によじ登りながら、ロナルドは涙目でシーニャを見た。
「その子のこと愛してるって」
ロナルドは再び椅子から転げ落ちた。自分の中で様々な感情が渦巻き、もう何が何だか分からなくなっていて、視界はやたらと滲んでいた。ロナルドは気合で椅子によじ登ると、顔を真っ赤にして涙目で声を上げた。
「いや、でも、ほら、そうだ! 友情という可能性もあるだろ! 単純に一緒に住んでいた友達が出ていくから寂しい、的な」
「じゃああんた、その子があんた以外の誰かと付き合っても平気なの?」
「え」
「仮に同居は解消しないとして、よそで誰かと恋愛してるとして、それは平気なの?」
すん、と世界が静止する感覚がした。ロナルドは、真っ白になった頭で、誰かと仲睦まじく過ごすドラルクの姿を想像した。
自分以外の誰かに飯を作るドラルク。自分以外の誰かに軽口を叩くドラルク。自分以外の誰かと笑いあうドラルク。そして自分以外の誰かの手をとって、いつかヒナイチにしてたみたいに手にキスをして、それから……。
「えっ、無理無理無理無理無理無理無理無理そんなの絶対無理ありあえないもう閉じ込める閉じ込めて一生部屋から出さない」
「うわこっわキッショおっも」
ドン引きするショットをよそに、ロナルドの目からははらはらと涙が落ちていた。
「なんなんだよ……もう意味わかんねえよ……」
「もう認めちゃいなさいよ」
「……でもさ、認めちゃったらさ、俺ドラ公の事愛してるってことになっちゃうじゃん」
ロナルドが消え入りそうな声で言った。
しん、と店内が一瞬静まり返り、今度はショットが椅子から転げ落ちた。シーニャは頬に手を当ててあらぁと口元を緩め、マスターは温かい目でロナルドを見ている。
――ああクソ、やっぱりそうなのか。
この一週間、ずっと自分を悩ませていた感情に、ようやく名前がついた。初めての感情だった。しかも相手は、あのクソ砂。不本意だ。本当に心の底から不本意なのだが、もう認めざるを得なかった。
「俺、あいつのこと好きなんだ」
(続)
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