恋と呼ぶには泥臭い #7
- みりん
- 2022年5月29日
- 読了時間: 7分
拘束されること数時間。深夜2時近くになって、ロナルドはようやくギルドから解放された。
ロナルドは、自他ともに認める童貞である。肉体的にどうこうと言うのではなく、なんというか、精神的に、本質的に童貞なのだ。そんなロナルドが、えっちなお姉さんムーブをガンガンにかましてくるドラルクになど勝てる訳がない。それでは賭けにならないと、ギルドメンバー総出で、グッとくる彼氏になるためのノウハウを叩き込まれていたのだ。
非常に不本意ながら、このままではドラルクの手のひらの上で転がされ続けることは自明の理だった為、ロナルドもグッと堪らえて皆のアドバイスを真剣に聞いた。事務所に帰る道すがら、ドラルクの行動パターンを想像し、脳内で1万回はシミュレーションを繰り返した。
――よし、よし、大丈夫だ! 今の俺なら、どんな煽りにも屈しない!
そう自分に活を入れると、ロナルドは事務所の扉を開いた。ただいまと声をかけると、居住スペースの方からパタパタと足音が聞こえた。
――大丈夫だ。いまの俺なら、やれる! ドラルクを殺さず、俺のテクで骨抜きにして見せるぜ!
そして登場したのはエプロン姿のドラルク。ロナルドの姿を認めると、眩しい笑顔で言い放った。
「おかえりロナルド君〜! ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?」
反射的に殺した。
「ブエー! なんなんだいきなり!」
「こっちの台詞じゃ! なん、なんなんだお前、ななんだそれ、なに、」
「あらあら〜童貞ルドくんにはちょっと刺激が強かったでちゅね〜」
「殺すわ」
「ンギャー! ひとでなし!」
「……風呂入ってくる」
早速二回死んだドラルクを放置して、ロナルドは浴室に向かった。
――なんだあれえっろ……殺さざるを得んわ……。いや、いやいやいや、だめだこんな調子じゃ、しっかりしろ俺……ドラ公を骨抜きにするんだろ……! えーと何だ、褒める、とにかく褒める。あと何だっけ……あ、記念日を忘れない、なんでもない日のプレゼント、ありがとうを忘れない、す、好きってちゃんと伝える、ええとそれから……。
***
風呂から上がると、ダイニングの机の上には、またハヤシライスが乗っていた。そういえばここ数日、これしか食べていない。奥の席に座っているドラルクを見ると、こちらの言いたいことを察したのか、目が合うとニタァと笑った。
「俺のために毎日弱いカレーを作ってくれって、いったもんね?」
「んぐ……はい」
反射的に殺しそうになるのを、理性と気合でなんとか抑え、ロナルドは反対側の席に着いた。ドラルクの言う通り、そもそもは自分が言い出した事なのだから、文句を言う権利などある訳がないし、もちろん殺す権利もない。
ロナルドがいただきますをするのを見届けると、ドラルクはスプーンを手に取り、ハヤシライスを少し掬って、ロナルドの方に差し出した。
「はい、あーん」
「殺すわ」
「ウエーン! 恋人らしさのかけらもない~!」
また反射的に殺してしまった。しかし、サラサラと崩れ落ちながら抗議するドラルクの声に、ロナルドはハッとした。
――もしかして、ドラ公は俺を煽っているんじゃなくて、あいつの思う恋人らしい事を実行しているだけなのでは……? だとしたら、俺ははちゃめちゃに最低な奴なのでは……!? そうだ、ギルドの奴らも、言われなくても相手の気持ちを察してあげるのが良い男だと言っていた。クッソ、俺はなんてダメな男なんだ……!
自身の発見に雷の落ちるような衝撃を受け、ロナルドはこれまでの行動を悔やんだ。大丈夫だ。今ならまだ間に合う。そう自分に言い聞かせ、ロナルドは再生したばかりのドラルクに話しかけた。
「その、悪かったよ……」
「!?」
目を逸らしながら、耳まで赤くして詫びてくるロナルドを、ドラルクは網戸を突き破って侵入してきたカナブンでも見るような目で見て、のけ反った。
「えっヤダ、体調でも悪いの何ルドくん……?」
「う、うるせー! ……なあ、もっかいあーんしてくれよ」
「!!??!???!?!??」
網戸を突き破って侵入してきたカナブンがその場で人語を話し始めたのを見るような目で、ドラルクはロナルドを見た。
「な、なんだよその目! お前が言い出したんだろ!」
「え、いや……ごめん。え、ホントにするの?」
「……ん」
相変わらず目を逸しつつも、顔を真っ赤にさせ黙って口を開けるロナルドに、ドラルクはおっかなびっくりスプーンを差し出した。が、その手はあっという間に崩れ落ちてしまった。
「うわーん! はずか死!」
「なんでだよ!!」
「思ってたのと違うんだよバーカバーカ! もう一人で食ってろ! ジョン、お風呂入ろ!」
「ヌー!」
「あ、おい!」
言うが早いか、ドラルクはさっさと出て行ってしまった。後について行こうとしたジョンが、一瞬何か言いたげな目をしてこちらを見た。やめろ、そんな目で見るな……!
「どうすりゃ良かったんだよ……」
ロナルドは頭を抱え込むと、そう呟いた。
***
「え? なんでさっき死んだかって?」
湯船に浸かって一息付くと、愛しい遣い魔が問いかけてきた。
「いやぁ、あれはシチュエーションに耐えられなかっただけで……ほら、いつぞやのロナルド君と一緒だよ」
そう答えながら、今までのロナルドとの記憶を反芻する。大きな五歳児の存在は、今やドラルクにとって欠かせない、最高のエンターテイメントと化していた。ロナルドといると退屈しない。ここ二百年、出会ったことのない感情と出会わせてくれる。今日も今日とて、いじりがいがあってとても良い。ただ、なんだか今日のロナルドは、
――なーんか思ってたのと違うんだよな。ゴリルド君のことだから、殴って殺してそれっきりだとばかり思ってたのに、もっかいあーんしてくれよ……って、何? 体調でも悪いのか? そういえばやたらと顔が赤かったし、病気かな。おかゆでも作ってやればよかったかな。せっかくだしセロリもすりおろしてちょっと入れて。アホだから気づかないだろ、多分。
「さあ、ジョン。あがろうか」
「ヌー」
浴室から戻ると、食器は全て綺麗に洗われ、水切りラックに置かれていた。珍しいこともあるものだ、と思っていると、不意に強い視線を感じた。ソファの向こう側から、ロナルドが真っ赤な顔でこちらを凝視している。
「……ロナルド君?」
「オ、アッ」
「ここの公用語ゴリラ語だっけ?」
「う、うるせーな!」
「あー……、洗い物してくれたんだよね。ありがとう」
「あ、いや、そんな……こちらこそ、いつも、ありがとう……な!!」
「!?」
ドラルクは思わずのけ反った。顔を赤らめ、やたらと強い語気で、普段なら絶対言わない事を言い放つ大きな五歳児。病気だ。絶対病気だ。病院に連れて行かなくては。
「ロナルド君、熱あるよね?」
「はぁ!?」
「だって君、普段なら絶対そんな事言わないだろ」
「そ、れは……ごめん……」
やっぱり。絶対おかしい。ドラルクはずかずかとロナルドに近づくと、正面に回り、その額に触れた。
「なッ、な、なななななな、なに」
「うーん、ちょっと熱い気がするな」
「いや、お前の方が、熱いだろ! いつもはもっと、」
そう言うと、ロナルドは額に触れていたドラルクの手首を掴んだ。
「いつもはもっと、冷たいじゃん、か」
「……そう? お風呂上りだからかな」
ロナルドの手のひらから、じんわりと体温が伝わってくる。なんだ、やっぱり熱いじゃないか。明日にでも病院に……と、口を開こうとした途端、ぐっと引き寄せられた。
「うわ! ちょっと、何、」
「……ドラ公、いい匂いするな」
「お、お風呂上りだからじゃない?」
ソファの上で抱き寄せられる形になり、首筋に顔を埋められ、鼻を摺り寄せらせる。銀色の髪がふわふわと当たって、くすぐったい。ドラルクが思わずふふ、と笑うと、ロナルドはハッとしたように顔を上げた。
「……ロナルド君?」
「どらこう、めちゃくちゃかわいいな……」
「ハー!??!??」
再び首筋に顔を埋められ、何故か腰に手がまわされる。密着した体越しに、ロナルドの鼓動と高すぎる体温が伝わってくる。
――なんだこれ、なんだこれ知らないぞ! っていうか心臓の音! 早い! 不整脈か?
「……かわいい、かわいいな」
「い、いまさら気付いたのか!! このウルトラスーパーキュートなドラドラちゃんの魅力に! 畏怖しろ!」
「ん……する……畏怖する……」
「素直ー!! 待て待て絶対おかしい。絶対熱あるって。さっきより熱いし! ジョン! ちょっとヴァミマで冷えピタ買ってきて!」
「ヌー!!」
ドラルクが助けを求めると、こわごわと様子を見守っていたジョンは、勢い良く転がって出て行った。本当は解熱剤も、と言いたいところだったが、流石にこの時間では手に入らないだろう。
「ほら、ジョンが冷えピタ買ってきてくれるから」
「……ん」
そう言うと、ロナルドはやっと顔を上げた。驚くほど赤い顔で、目はトロンとしている。きっと、ここ最近の無理が祟ったのだろう。
――大きな五歳児だ。
急に心臓の奥から暖かいものが沸くのを感じた。頭を優しく撫でてやると、ロナルドは甘えるようにすり寄ってきた。
「ほら、お布団かけてあげるから、今日はもう寝なさい」
「……どらこう、」
「すごい熱だ。明日はおかゆでも作ってあげるから」
「……あーんしてくれる?」
「……する、するから寝ろ。ほら、放して」
「……ん」
小さく返事をすると、ロナルドはようやく手を放した。ドラルクはロナルドをそのままソファに横たえさせると、空色の瞳を手で覆った。
「ほら、さっさと寝ろ」
「……お前の手、冷たい」
「……湯冷めしたんだよ、君のせいで」
しばらくして手を離すと、瞼は静かに閉じられていた。
――やっと、やっと寝た……。ワンオペ育児だ。勘弁してくれ。……しかし、黙っていたら、綺麗な顔だ。……本当に、世の女性たちが放っておかないだろうに。
ふと脳裏に浮かんだイメージを、ドラルクは首を振って打ち払った。この想像は、あまり楽しくない。
それから、ドラルクはジョンが帰ってくるまでの間、銀色の睫毛の本数を数え続けた。
(続)
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